この話を聞いたときには、明確に「こんな車に乗りたい」とか「この車種のこのグレードで年式・走行距離はこれこれで」とかいうように希望や絞りこみ条件がはっきりしている方がいいに決まってるのだからそれらは呪縛ではないのではなかろうかと納得できなかった。
しかし、今回予定より早い乗り換えとなり、次に買う車の明確なビジョンができていなったことが幸いしてこの言葉の意味がわかってきた。
大雑把に言えば希望(=呪縛)がなければ、幸せになれるということ。先輩は中島みゆきとは正反対にいるような人だが同じことを言っていたのだな。
善良な一般庶民たる我々は「なるべく安く」「安全で壊れない」「便利もしくはカッコイイ、速い」「エコ」というのはもう希望というより当たり前の条件のように思ってしまうが、本当にそうだろうかと考えてみた。
すると、これらが絶対条件ではないことに気付かされる。
ここまで来ればしめたもので、呪縛から解放されつつある。
今まで車に求めていたものは本当に自分の欲求だっただろうか。
希望が無くなると絶望して無気力になってしまうと思っていたが違った。
呪縛から解放された本心=欲望がシンプルに残った。
あまりにも解放され過ぎると呪縛と一緒に大事な箍まで外れてしまって越えてはならない一線を越えてしまうこともあるかもしれないので注意が必要だが。。。
越えてはならない一線はチンクなのかセイなのかエイトなのか、はたまたハチロクなのかチェンテナリオなのか。いやいやトワソンユイ、ドライツヴァンツィッヒ、ノインエルファーまでいっちゃう!?
駐車場でジャガーやサソリや蓮が飼えるのかも含めて、どこまで大丈夫かはちょっと落ち着いて考えてみなければ。
でももうなんだか幸せでしょ?
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